同窓会報No.41

2024年 第41号 TUT 同窓会報 23 2003年11月1日、それまで 勤務していた日本アイ・ビー・エ ム(株)を10 月末で退職し、国 立大学豊橋技術科学大学に着 任しました。法人化が起こる5 か月前のことです。自分にとって は、この転職は大きな決断であり、 今振り返ると、「どえらい」ことであり、同時に、とても「ラッ キー」だったなあ、と感じています。 「どえらい」思い出としては、まず、カオス的な法人化 前の全学教授会を経験できたことです。人事案件もドク ター学位審査も1 件ごと説明のあと投票という手続きだっ たので、何時に終わるともわからない状況でした。また、 「科研」という未知語に対して、着任時、「あなたは企業に いたので科研を知らないでしょうから基盤研究 (C) の申請 書を書きなさい」という最初のミッションを、当時の学長や 系の教授たちから着任時に言い渡されたことも「どえらい」 思い出です。当時の申請期限は 11 月7日頃でした。 「ラッキー」な思い出としては、2004 年 4 月の船出から、 M1の 3 名を含む合計 6 名の学生が研究室に配属されたこ とです。通常、B4 の配属は初年度からあるとしても、M1 の配属は、ないはずでした。M1 が加わってくれたことで、 技科大サバイバル術的なこと(「夏休みには研究室単位で バーベキューに行きましょう」など)を研究室運営に取り入 れることができました。写真はバーベキューや歓迎会での 研究室のメンバーとの集合写真です【写真 1、写真 2】。 また、2004 年の中頃、当時すでに進行していた学内横 断の 21 世紀 COEプロジェクトで声をかけてもらい、安田 先生、澤田先生、若原先生らと知り合うことができたことも 「ラッキー」でした。 研究面では、データマイニングのほかにも、3D モデルの 形状類似検索技術という世界的にもユニークな研究分野 を開拓し、学術論文、特許、国際コンテストでの成果を重 ねるうちに、A-step や総務省の SCOPEなどの外部資金を 獲得できたほか、特許の一部を、共同研究をしていた企業 の製品で実用化できたことも「ラッキー」でした。 研究室の学生集めに関しては、自分自身が海外留学して いたこともあり、できるだけ多くの留学生の獲得を目指して きました。2012 ~ 2016 年頃には、20 名程度いた学生の 3 分の 1くらいが留学生、残りが日本人という、多くの学生に 恵まれた時代を経験できました。特に、最初の留学生が博 士後期課程に進学し研究室初のドクターの学位を取得し、 出身国のバングラデッシュに戻り、チッタゴン大学の准教 授ポジション(現在は教授)につきました。そのきっかけも あり、自らもバグラデッシュに赴き、しばらくして豊橋技科 科学大学とチッタゴン大学の間で協定校の締結を無事、結 ぶことができました【写真 3】。 今しばらくは、豊橋ハートセンター共同研究講座で大学 に特任教授として残ることになっているので、これからもし ばらくは、大学周辺をうろうろしていると思います。引き続 き、お世話になった豊橋技術科学大学に、何らかのお役に 立てるよう、尽力してまいりたいと思います。【写真 4】 退職教員より 企業で19年半、技科大で19年半 情報・知能工学系 教授 青野 雅樹 写真1 写真2 写真3 写真4

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